Art of Flies

「夢の代償」発電にかけたムラ

(新潟日報に2002年1月1から特集として掲載されました。地元の意見と食い違う部分が含まれることをご了承の上、ご覧ください。)

 <1>貫いた「駒」への思い  孤立恐れず反対10年   

 午(うま)年、2002年が明けた。今年は「駒(こま)ケ岳」の年だ。標高2002.7メートル。7月は年男、年女の登山ラッシュが予想される。「全国に越後駒を売る絶好のチャンスでしょ。でも、村は話にのってこないんだよ」。頂の山小屋を守る米山孝志さん(48)はため息をつく。
 それどころでないのかもしれない。下界では、駒ケ岳の眼下に計画されていた湯之谷揚水発電所の撤退問題で大騒ぎなのだから。電源開発(本社東京、以下電発)が最初に調査を始めたのは1972年。途中、紆余(うよ)曲折はあったが、30年目の昨年9月、電発は「需要低迷」を理由に中止を決めた。
 揚水は一風変わった水力発電だ。上下二つのダム池を造るから、事業費は約4000億円もかかる。クーラーがフル回転する真夏の需要ピークを補う揚水発電。都会の快適な生活を支える巨大施設、ともいえる。

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 駒ケ岳の登山口に佐梨川の清流がほとばしる。その渓谷にしがみつくように深山の宿「駒の湯」はある。ダムが完成すれば、ただ一軒の水没民家。大湯温泉から奧に3キロ。電気、水道は通っていない。
 都会の客たちはこの秘湯に「不便」を求める。ランプに揺れる小さな光を飽きずに見つめる。囲炉裏(いろり)で弾ける炭の音と沢のせせらぎの合唱に耳を澄ます。 撤退決定後、初めて宿を訪ねた10月18日は、ほぼ満室だった。細長い食堂はまるで乗り合いバス状態。裏の瀬を飛び回るアカショウビンやカワセミの鳥の写真が飾られている。「ここを湖底に沈めたらだめだよ、ママ。秘湯のある自然をつぶすことは人類をつぶすことだ」。埼玉県から夫婦で湯治に訪れた建設業者(57)は酔い心地だ。
 「そうですね。ありがとうございます」。女将の桜井真知子さんは笑顔のバスガイドのようだ。裏山で採れたマイタケや山ぶどう酒、マタタビ、フキノトウの漬物を客に勧め、ランプの消し方を教える。作務衣(さむえ)姿の主人、恭一さん(53)が台所から目を細めて見守る。
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 ダム予定地の地権者は100人。うち反対派は4軒。計画が本格的に動き出してからの10年、村、県、電発のいう「国策」が反対派の恭一さんにのし掛かった。
 「中止はおまえのせいだって、夜中の嫌がらせ電話がまた増えてます」。恭一さんは10年間を、何事もなかったように穏やかに振り返る。92年からの地形地質調査では、断りなしに敷地内に杭(くい)打ちされた。調査トンネルの掘削で湯量が、一時は6分の一に減った。補償交渉以前から、数億円単位の買収話が相次いだ。「仕事だから」と言い訳しながら、監視のため連日張り込んだ警備畑の警察官。中学時代の同級生だった。
 「駒(ケ岳)はおれの神さんだ、こういって大湯から出て、駒の湯を開いた父の思いは裏切れない」「ダム補償金が目当ての生き方はしたくないでしょ」。なぜ反対の旗を下ろさないのか、との問いに、恭一さんは温かいまなざしを返した。

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 半月後の11月2日。駒ケ岳に初雪が舞った朝、恭一さんが突然亡くなった。長年の思いがかなった直後の死。ダム賛成、反対派双方が言葉を失った。その衝撃は、日を追うごとに山あいから、町場へと広がった。
写真=駒ケ岳に寄り添うように立つ「駒の湯」。1954年、江戸時代から伝わる佐梨川沿いの湯治場に桜井一家が宿を開いた。冬季休業にもかかわらず、年間9000人もが訪ねる
 <2>電発の変心  「国策」よりも企業経営優先   

 「回収が見込めない投資は自分の首を絞めることになる。通常の企業では許されない」。2001年9月5日、県庁四階の県政記者クラブ。電源開発(本社東京、以下電発)の中垣喜彦社長は湯之谷揚水発電と、県営佐梨川ダム(下ダム部分)からの撤退を正式に表明した。
 電発は1952年、増大する電力需要に対応するため国が設立した。66カ所の発電所を保有、年間売り上げは約5000億円。特殊法人見直しのなか、03年に完全民営化を予定する。
 中垣氏は初のたたき上げ社長。天下り組ではない。撤退は国策より、経営を優先した決断と位置づけ、「地元の期待の大きさも分かるが、誠心誠意理解を求める」ときぜんと話した。

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 「なぜ、撤退なのか」。湯之谷の星巽(たつみ)村長はまだ納得できない。9月以降、何度も電発から説明された。電力需要の予想外の低迷は分かった。揚水発電の特殊な役割も分かる。だが、91年の事業の凍結解除で、「今度は不退転の決意」と村に再び協力を求め、深々と頭を下げた電発役員の姿は忘れない。
 「電調審(電源開発調整審議会、現在は総合資源エネルギー調査会)を通った計画は、黄門さまの印籠(いんろう)をもらったようなもの。中止でなく、景気が上向くまで再凍結にできないものか」と星村長。
 「撤退」に自民党県議団も色めき立った。9月14日、同村で北魚三首長の陳情を受けた星野伊佐夫・県議団長は「電調審はそんなに軽いのか。国の責任はどうなのか」と語気を強めた。 発電所計画が首相座長の電調審を通り、国の電源開発基本計画(以下、基本計画)に組み込まれる。「そうなれば遅かれ早かれできる」「道路や港湾、空港など国の長期計画と同じ」―。村長だけでなく、多くの県議もこれが公共事業のルールだと信じ込んできた。

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 11月15日、村役場で開かれた「撤退」説明会。「30年間も村民は電発に洗脳され、協力してきた。急に理解せよといわれても、簡単にできない」と星謙一同村会議長は反発した。
 過去、基本計画に組み込まれながら、中止された発電所は12件。揚水を含め水力発電の中止はほぼ30年ぶりだ。
 資源エネルギー庁の舟木隆・電力基盤整備課長はいう。「計画組み入れは、国が事業支援を決めたこと。完成の事業責任をもつ約束ではない」
 湯之谷揚水は97年に電調審を通過、当初は2年後の着工が見込まれた。しかし、反対の声は根強く、イヌワシ、地形調査などに手間取る。着工予定はじりじり後退、ついに昨年、民営化年の2003年に食い込んだ。「公共事業」が「民間投資」に変わるとき、巨大事業は姿を消した。
写真=駒ケ岳から湯之谷村を貫く佐梨川の早瀬。県営ダム計画(揚水発電の下ダム)は、この川上流をせき止め、新潟県庁110杯分2340万立方メートルをためる
 <3>ワンマン村長  開発追い求め 魔法の杖幻に   

 一時凍結されていた揚水計画が息を吹き返したのは、バブル末期の1991年。その2年前、村会議長から北魚湯之谷村長に当選した佐藤孝雄・前村長(昨年3月、65歳で死去)にとって、村政イコール「揚水」だった。
 総工費4000億円。実現すれば発電所から36億円の固定資産税が入る。村税が8億円に満たない村にとって、その4倍は目がくらむような額だ。さらに「電源三法交付金」が16億円加わるはずだった。

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 前村長は土建業一筋、村最大の建設会社を育てた。田中角栄元首相に心酔、後援会「越山会」で政治を学ぶ。92年、バブルが崩壊する。翌93年には、元首相が死去する。だが、前村長は「発電所」建設に村の夢を託す。「揚水ができれば大丈夫」「電発(電源開発)に行って話をつける」。口癖のようだった。
 村は93年、収入役を廃止、県内町村で初の二人助役制を敷き、ダム担当を置く。「揚水」「電発」がいつしか、財政の魔法の杖(つえ)に変わる。借金頼みの「先行投資」に歯止めは掛からなかった。
 手始めは、大湯の交流センター(94年完成)。その後も道の駅・振興センター、薬師交流ゾーン、奥只見のスロープカー・観光船、銀山平の観光開発(02年完成予定)と続いた。主な事業だけで総額百億円を超える。95年には、専業農家24戸の村に県内最大級の農村総合整備事業が始まった。事業費は31億円に上った。
 「発電所ができれば、刈羽になれた」。昨年4月に助役から後を継いだ星巽(たつみ)村長はこう話す。交付税の不交付団体は県内に刈羽刈羽村、南魚湯沢町、北蒲聖籠町の3町村。いずれも大規模発電所を抱える。4番手になる夢を疑う者はいなかった。

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 2000年度、村の実質的な借金依存度を示す「起債制限比率」は16・2%で県内最悪。五年間で村債は倍増、125億円(特別会計含む)は村民1人当たり200万円の借金だ。村は「財政健全化計画」を県に提出、財政建て直しの指導を受ける立場になった。
 90年代、国は景気対策で100兆円を超す財政出動を重ね、地方に公共事業拡大を迫った。「どこも債務増大に苦しんでいる。ただ湯之谷はダントツ」。県市町村課は、債務償還が本格化する02年度から、福祉など村民生活へのしわ寄せは避けられないと懸念する。
 「いくつかの開発で、心配になり村長に言った。でも大丈夫といわれれば、それまでだ」。ワンマンに仕えた現村長は目を伏せた。
 佐藤・前村長の建設会社は昨年2月、村長辞任の翌日、経営破たんした(民事再生手続き中)。いま村を「財政再建団体」転落の悪夢が襲う。
写真=99年、10億円を投じて完成したエレベーター付きの役場庁舎。織田裕二、松島菜々子共演の映画「ホワイトアウト」のロケに使われ、全国に披露された
 <4>潤う奥会津  数十?の差で 苦労「水の泡」   

 北魚湯之谷村奥只見の積雪は今冬も3メートルを超えた。平年で累計降雪26メートル、厳冬期は「陸の孤島」と化す。白銀の世界の中心に国内最大の人造湖・奥只見ダムはある。その地下60メートル地点がこの冬も技術者、建設作業員の熱気に包まれていることを知る人は少ない。
 県境の奥只見ダムでは、4機目の水力発電機を増設する工事が真っ最中。直下流の大鳥ダム(福島県只見町)と一体で工事が進む。 事業費660億円。夏は作業員が600人以上に膨らむ。1999年着工、2003年夏の稼働をめざす。電源開発(電発)は、増設計画を約10キロ離れた湯之谷揚水発電計画と並行するように地元と交渉、着工準備を進めてきた。

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 増設により奥只見ダムは出力56万キロワットに増大、揚水発電を除くと、名実ともに日本最大の水力発電所になる。増設関連の新たな固定資産税、電源3法交付金は10億円を超える。
 だが、県境ダムの恵みは対岸の檜枝岐(ひのえまた)村、只見町に転がり込む。たとえ、地上の建設基地が湯之谷側にあっても、課税対象の発電施設は、数10メートルの差で福島県の地籍に位置するからだ。
 増設工事に反対するのは、イヌワシ、イワナなどの生態系影響への懸念する自然保護団体だけではなかった。当初、湯之谷村民にも抵抗感があった。
 ところが電発は昨年9月、突然、揚水ダム計画中止を発表。揚水特需にかけてきた村の建設、商工関係者はこれで?切れた?。 「増設がダメになると揚水もダメになる。村にこういわれ、静かにしてきた。何のために反対派を説得し、苦労したのか」。建設会社経営の星茂・前商工会会長(70)は声を震わせる。

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 一方の福島県奧会津の檜枝岐村。奥只見ダムは村内にありながら、村の中心部から20キロ以上奧の辺境。冬季は一本道さえ封鎖される。「(揚水撤退は)残念でしょうなあ」。星勝夫村長(71)は湯之谷側を気遣うが、口ぶりは人ごとだ。
 同県最少の人口約七百人のムラ。20億円足らずの小さな財政にとって、「増設分約5億円」という固定資産税の増収はまさに?タナボタ?。52年のダム完成以降、村は関連税収を尾瀬などの観光に生かしてきた。「おかげで75(昭和50)年には、全戸に温泉を引き、水洗トイレ化もできました」。村長はダムの恩恵を語る。
 奥只見、大鳥両ダムはセットで揚水発電の代替機能を果たす。皮肉にも増設が揚水計画の足を引っ張った。「揚水をやめるなら、今から増設に反対すべきだ」。湯之谷村の商工関係者から、怒りの声も飛び出した。
写真=増設工事の共同元請けにゼネコンの名前が並ぶ。専門技術が求められ、地元業者の下請けは限られる。地中体育館のような空洞で直径12メートルの巨大発電機の据え付け作業が進む=2001年12月14日、奥只見ダム地下
 <5>銀山平の選択  自然愛す心に カネがクサビ   

 「河は眠らない」―。奥只見を愛した作家開高健。重さ10トンもある彼の記念碑が、奥只見ダムの湖畔、銀山平をじっと見守る。碑の建つ北ノ又川はイワナ、ヤマメの産卵域として1981年、日本で最初の通年禁漁区に指定された。日本の渓流釣り愛好者の聖地だ。
 この春、聖地の河畔にログハウス村がオープンする。北魚湯之谷村が97年から、電源開発(以下電発)の補助を受け、23億円を投じた村営「蛇小沢(じゃこざわ)観光開発」である。「最初のダムから50年、親子三代が(電発との)闘いに巻き込まれた。ここは妥協の産物」。66歳になる佐藤庄一さんはダム湖畔の釣り宿をたたみ、この春から長男一家とログハウス村で心機一転を期す。新築の宿を案内する表情には、安堵(あんど)と無念がない交ぜだ。

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 開高の碑は91年7月に完成した。その2カ月後、電発の揚水発電所計画が再浮上した。碑のすぐ上流に上ダムを建設、駒ケ岳の山腹に水路をぶち抜き、西側の佐梨川に下ダムを設ける計画だった。
 当然、全国の釣り愛好家が集う「奥只見の魚を育てる会」、佐藤さんら銀山平周辺の釣り宿10軒は猛反発した。電発は翌10月、当初案を断念、上ダム予定地を枝折峠を越えた入広瀬村明神沢(黒又川)に移す。
 銀山平の安息は続かなかった。2年後の93年、今度は奥只見ダムの増設計画が発表される。「取水が増えれば水位は急変。イワナのエサのワカサギも減る」―。釣りへの影響を心配する釣り宿は再び立ち上がる。
 水利権を握る電発に対し、釣り宿は「生活権」を主張した。揚水ダム反対運動、イヌワシ、イワナ保護団体とも手を携え、「一坪トラスト運動」も計画された。反対の声は広がるかに見えた。しかし、97年春、釣り宿側は折れた。「揚水」「増設」計画同意と引き換えに得たものは「営業補償2000万円」。それに、今の釣り宿放棄とログハウス村への移転だった。

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 「釣り宿は開高の心を裏切った」。一緒に闘った文化人や支援団体の一部は、佐藤さんらの「苦渋の決断」に失望、離反した。彼らの「聖地」に建つログハウス村移転(釣り宿六軒が参加)という交渉結果が、「カネで釣られた」と受け止められたのだ。一部の釣り宿は補償金受け取りを拒んだままだ。
 佐藤さんは苦悩する。「おれたちは孫子の代も奥只見で食っていかなければならん。格好良く自爆はできない」「このことで東京のショ(常連客)とけんかするのが一番切ない」―。
 秘境の自然を唯一の糧に生きる人々を、たやすく飲み込む巨大プロジェクトの素顔がかいま見える。巨額マネーは銀山平を愛する人々の心に、たやすくクサビを打ち込んでしまった。
写真=この春オープンする湯之谷村営ログハウス村。銀山平の北ノ又川河畔の18の丸太小屋を母屋、温泉棟が囲む=2001年12月、本社チャーター機から
 <6>残された借金  地権者の肩に先行投資重く   

 1991年に揚水発電所計画が本格化してから10年。100億円を超す「先行投資」を行ってきた湯之谷村にいま、村債125億円という借金がのしかかる。行政だけではない。「店の壁紙一枚でも揚水計画があるから、借金で設備投資してきた」。村の大桃英雄・商工会長は地元業者の気持ちを代弁する。特にダム調査に同意した地権者のなかに、補償金を前提に生活設計をした人は少なくない。
 「電発はおれたちにとって神様。だれが中止になると思うか」。ダム予定地でゼンマイ採りや炭焼きをしてきた同村宇津野の林業者(66)は、電発撤退の知らせに立ちすくんだ。数億円と自ら試算する用地補償を当て込み、釣り堀などにすでに1億円以上を投じている。「近所のもんに保証人になって借りた金。電発は調査で山を散々荒らした。買い取ってもらうしかない」。

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 大湯温泉に近い宇津野地区は、とりわけ電発と縁が深い。奥只見ダムを抱える銀山平周辺の山林5000ヘクタールは同地区58戸の共有地だ。佐梨川の揚水下ダム予定地もここの地権者が多い。
 奥只見ダムは40年前の62年に完成、38戸が水没し下山した。宇津野の共有地権者には1戸当たり300万円から700万円の補償金が出たという。「家1軒が100万円で建つ時代。(補償交渉の54年暮れは)猿が金物もらって大騒ぎだった」と、地元の観光業者は振り返る。 奥只見周辺に14のダムを開発した電源開発にとって、この半世紀は秘境の地権者、自治体を相手にした巨額の金銭補償の歴史だったともいえる。
 この揚水計画で電発が調査などで投じた約140億円は中止で無駄になる。奥只見ダム増設分も含め、銀山平の観光開発など村の公共事業に約11億円を補助、民間にも億単位の額が「補償」名目で支出されている。

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 「ダム反対論をお金で解消する意図が見え見え」「金で人の心や自然を買い取るやり方」―。99年7月の衆院決算行政監査委員会。「公共事業をチェックする会」の石井紘基議員(民主)は、湯之谷揚水と奥只見ダム増設における電発の姿勢を批判し、会計検査を求めた。
 会計検査院はその後、延べ11日間にわたり現地検査を行っている。電源開発の宮本佐治・立地環境部長は「3回の検査で問題点の指摘はない」とし、「公共補償基準要綱」(67年閣議決定)などを守った適正な処理であると反論する。
 「りんきこく、ってここの言葉知ってますか」。宇津野の星謙一・村会議長はいう。「りんきこく」とは、ねたみ、しっとする意味だ。偶然生まれたダムの地権と利権。これをもつ者に対し、周りが「りんきこく」。「村の純朴をダムが変えてきたのかも」。議長がつぶやいた。
写真=昨年11月6日の湯之谷村村政百周年記念式典。「揚水計画中止」で祝賀ムードは一転。「電源開発抜きの百年は考えられない」。会場に星巽村長の祝辞がむなしく響いた=湯之谷村地域振興センター
 <7>「ゼネコン」破たん  特需も消えて下請けに激震   

 7日午後2時、長岡市の地裁支部に建設作業着のグループや銀行員とみられるスーツ姿の人々が吸い込まれていった。昨年2月28日、負債総額約20億円で経営破たんした、北魚湯之谷村最大の建設会社「丸佐組」(佐藤重四郎社長)の債権者集会が開かれた。「再建か、解散整理か」。同社の命運は債権者113人の「1票」にかかっていた。

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 「村のゼネコン」「村との合弁会社」。多くの村民が丸佐組をこう言う。同社の実質オーナー佐藤孝雄・前村長(昨年2月辞任、3月死去)は小出郷土地改良区理事長も兼ね、地元の公共事業に影響力があった。
 「受注調整(談合)は、孝雄村長のツルの一声」「丸佐組は1次下請けにスッと入って丸投げが多かった」。下請け工事代金が焦げ付いた設備業者は、丸佐組が関係した村発注の大型事業を並べたてた。
 いま、公共事業の減少に建設業者はあえぐ。「林道掛け替えなど村長決裁の関連事業だけで、120億円以上見込める」。こう地元業者が望みを託していた揚水のダム特需も今や幻だ。「冬どころか氷河期」。自らを絶滅したマンモスにたとえる建設業者。村の建設業組合加盟は2年間で17社から3社減った。次はどこか。「揚水ダム中止で踏んだりけったり。夜逃げの方法を教えてくれ」。自営の大口債権者は自嘲気味だ。

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 15億円を超えた丸佐組の年間受注は98年を境に減少。バブル期の投資のツケに、公共事業削減が追い打ちした。「債務が月商の10倍。無理をしなければ、営業資金は回らなかったはず」と、民間信用機関はみる。
 事実、孝雄前村長、丸佐組、役場幹部らの「公私混同」は度々問題になった。前村長は揚水計画再浮上前年の90年、ダム水没予定地約7ヘクタールを取得。「借金返済で困っていた地権者を助けただけ。もうけ話でない」と94年、村議会で釈明した。だが2000年12月、土地は借金6000万円の抵当に入る。借入先は中越地区の原発関連建設業者。「ダム予定地を村外に流し、村長自ら用地交渉を複雑にした」と話すダム推進派もいる。
 昨年3月には、当時助役の星巽村長、教育長、前総務課長、JA前組合長から、前村長が多額の借り入れをしていることが発覚する。星村長は「仲間同士で2000万円を用立てた。(丸佐組に)カネは行ったんだろう。軽率だった」と融資を認める。
 7日、丸佐組再建案は賛成がわずかに上回り、会社存続が決まった。社長は交代、従業員も41人から7人に。全面縮小の再出発だ。「公共事業一辺倒から、民間受注に重点」―。反対票を投じた地銀の支店長は、再建計画をいちべつして言った。「それができたら、どこの建設会社も苦労してませんよ」。
写真=丸佐組の民事再生の是非が問われた債権者集会の参加者。「全額保証」が再建案に盛られた小口債権者は賛成へ、「95%債権放棄」の地銀など大口債権者は反対に回った=7日、地裁長岡支部
 <8>2代目の回答  足下を見直し 気づいた知恵   

 「揚水計画は大湯を踊らすだけ踊らして、何を残したのか」。湯の街・北魚湯之谷村を代表する大湯温泉。地区をまとめる桜井金治区長(64)は、この10年間を思うと怒りが口を突く。それどころか、流雪溝の補修や道路の拡幅、地元のささやかな役場陳情は、決まって「ダムとセットで」と、待たされるばかりだったではないか―。
 大湯は揚水発電の下ダム、県営佐梨川ダムの直下にある。ダム予定地の地権者は宇津野地区と並んで多い。揚水計画が再浮上した1991年、大湯温泉はバブルに沸いていた。「佐梨の渓流を渡る湯煙、大湯の風情が壊れる」。地元は当初、反対意見が多かった。だが、バブル崩壊後、温泉客は一気に遠のく。

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 「膨大な税収と三法交付金で温泉街再開発を」「電発、県も協力は惜しまない」。村、電発、県土木事務所の説得に温泉街は、40年前の絶頂期をだぶらせた。62年に完成した奥只見ダム。5000人に上った建設作業員の歓楽街として、大湯の名は全国に知れ渡った。「リュックに札束詰めて山から芸者遊びに下りてきた」。芸者置き屋の女将(75)は振り返る。「夢よもう一度」―。ダム景気再来の期待の前に反対論はかすんだ。
 大湯は「街づくり委員会」を設置。メンバーは役場、電発の補助金も得て、温泉地を視察した。別所(大分)、長浜(滋賀)、新治、草津(群馬)…。「旅館経営塾」の講師も招いた。「名前も知らないコンサルタントが、活性化マスタープランを次々持ち込んだ」。大湯・栃尾又温泉旅館協同組合(13軒加盟)の桜井修組合長(51)は、ダム計画の底知れぬカネの力をかい間見た。
 当初、「再開発」は順調に見えた。96年に村の温泉交流センター「ユピオ」が完成。県も奥只見レク都市公園事業を並行し、ホタル舞う山林、田畑七ヘクタールは「都市公園」に変ぼうした。
 しかし、いっこうにダムは具体化しなかった。バブル後、深山の温泉は「秘湯ブーム」にのった。だが、大湯の客は減り続けた。同組合の年間売り上げは、バブル期の33億円から、5年ほどで半減した。

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 昨年9月、揚水撤退が明らかになる。桜井組合長は、自分でも意外なほど冷静に事態を受け止めたという。「ダムで大湯は夢ばかり見て、足下を見失った。温泉客が落ちるところまで落ちて、やっと何が大切か気づいた」。
 温泉街はこの冬、「かまくら村」など豪雪を逆手にとった観光行事に知恵を絞る。離れの個室、雪見露天ぶろ、渓流を見渡す貸し切りぶろ…。各旅館も懸命だ。「箱モノ(観光施設)はもういらない。客が満足する雰囲気、もてなしでしか生き残れない」―過去のダム景気を知らない、2代目経営者たちがつかんだ「10年目の回答」だ。
写真=雪と渓流、もの悲しげな湯煙が大湯温泉の持ち味。ダム建設から高度経済成長期、裏通りは浴衣の客でごった返した。「もう一度にぎやかな、げたの音を聞きたい」。年寄りたちの願いだ
 <9>同床異夢   積もった借金 合併のお荷物   

 北魚沼は合併論議で、県内の先頭を走る。県の合併重点促進支援地域の第1号だ。昨年11月には北魚小出町で政府、県が主催する、合併テーマの「全国リレーシンポジウム」も開かれた。晴れ舞台で、6町村(堀之内、小出、湯之谷、広神、守門、入広瀬)任意合併協議会長の野村学守門村長は胸を張った。「行政サービス向上には、合併が最も有効な手段」―。
 2005年1月の合併実現へ、六町村のスクラムは堅い、とみられたが、湯之谷揚水発電の計画中止で、北魚沼の一枚岩がきしみ始めた。揚水撤退の影響は、湯之谷だけにとどまらない。

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 「農協の二の舞」「湯之谷は大丈夫か」。北魚の町村長が口々に例え話に出すのは、4年前の苦い経験だ。98年、圏域7つのJAは町村に先駆け合併で合意したが、JA湯之谷村は予備調印の数日前に脱落した。村出資の観光施設「ゆのたに荘」への過剰融資が背景にあった。
 周辺町村の不安のタネは同村の膨大な借金だ。いま村債は125億円、県内最悪の財政危機にある。潤沢な財源をもたらすはずの合併の主役は一転、北魚のお荷物になった。
 「計画が中止されれば合併への悪影響は必至」。昨年12月13日、星巽村長は隣接首長らと県知事に訴えた。村の商工関係者も「中止撤回」の署名運動を北魚全域で展開している。

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 しかし、北魚の町村長、役場職員たちの表情はクールだ。「合併相手だから協力するが、陳情を続けて中止は覆るのか」―。野村会長は「交付税が一割も減らされれば、小さな町村はやっていけない。6町村は合併で生き残るしかない」と強調する。その一方、「湯之谷の過剰債務を背負い込めば、他町村の行政サービスは切り下げになる。今度は住民が黙っていない」と、板挟みに渋い表情だ。
 入広瀬の佐藤武邦村長は存続運動自体に首をかしげる。「揚水中止が合併にとってマイナスなのか。むしろ促進材料だ」。もし、揚水ダムができれば同村は巨額の固定資産税により交付税不交付団体になる。「そうなれば湯之谷が合併に進むと思いますか?同じ立場の湯沢や刈羽、聖籠が合併に消極的なことを見れば明らか。自分なら合併しない」。佐藤村長は、合併に臨む弱小町村の「本音」を語る。
 同村は昨年末、揚水発電で北魚が足並みをそろえてきた「存続要望」を転換、「中止は理解」として、電発撤退後の補償などで?条件闘争?に入った。
 「いつまでも電車レールみたいな陳情を続けられないのは分かる。でも、いまはとても…」。揚水存続の旗を降ろすに降ろせない、湯之谷の星村長は苦悩する。目の前にぶら下がる合併問題。決断を迫られる日は、そう遠くない。
写真=2005年、県内最初の広域合併へ向け協議の進む小出郷。巨額の固定資産税が見込まれた揚水発電計画の撤退が合併協議に波紋を広げる
 <10>新しい灯火   次代に託した 湯宿守る意味   

 電源開発(電発)の揚水発電計画が消えて、計画とセットの県営佐梨川総合開発ダム計画だけが残った。揚水ダムの下ダムに当たる県営ダムの建設費は650億円。6割を負担するはずだった電発が抜ければ、県は単独事業で取り組むことになる。しかし財政難の県は今後5年間、ダム建設と同規模の年平均660億円もの財政収支不足を見込む。
 県は2002年度もダム調査費を盛り込む構えでいる。しかし昨年12月13日、北魚首長の陳情の席上、平山征夫知事は「電発が抜ければ、県独自のダム事業は困難」と機先を制した。土山和夫県土木部長もいう。「もし、揚水ダムがなくなれば、ダムに対する県民の意識変化を踏まえ、抜本的な再評価を迫られる」

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 「揚水」が撤退し、県営ダム計画の雲行きも怪しくなった今、地元北魚湯之谷村では冷静な声が広がり始めた。地権者の一人、建設会社社長(54)は、「揚水存続の声はいつも役場と商売の事情ばかり。本来の電力需要や洪水防止の議論が抜けている」と不満を口にする。「あそこは炭焼きやゼンマイ小屋の思い出がぎっしり詰まっている。先祖の土地を泣く泣く手放すおれたちの気持ちは、いつも後回しにされた。夢からもう覚めるときだ」とふる里を心配する。
 山林の測量調査を拒んできた反対地権者の女性(70)も、なじみの住民の心に寒風が吹いたこの10年を振り返る。「おてんとうさまとべとさえあれば、湯之谷はちゃんと暮らせる土地だ。もう騒ぎはこりごりですよ」。玄関先で声をひそめた。

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 ダム唯一の水没民家、「駒の湯」の秘湯は、駒ケ岳山ろくの豪雪の下でじっと春を待っている。ダム反対の象徴だった主人の桜井恭一さん(53)が突然亡くなり2カ月余。生前の恭一さんは昨年10月、本当なら小躍りすべき揚水発電中止発表について、「闘いはこれからが大変」と穏やかに話していた。「揚水が消えても、県がダムを中止しなければ何も変わらない。古くなったこの宿の建て替えすら、認められないんですから」
 恭一さんは6、7年前まで毎冬、関東に出稼ぎに出た。タクシー運転手、大判焼き売り…。「そこまでして、なぜ山間の湯宿を守ろうとしたのか」。一人息子の隆光さん(25)はいま、父親への問いかけを繰り返す。
 隆光さんは5年間の東京暮らしにピリオドを打ちこの冬、妻と「駒の湯」を継ぐことを決めた。「ダムで多くの人が傷つきました。ぼくは父の勇気と優しさを尊敬しています」 1月7日、恭一さんが一番待ち望んでいた初孫が誕生した。ランプの宿に新しい命の灯が引き継がれた。  (おわり)
(このシリーズは報道部・東寛、写真部・荒川慶太が担当しました。次回シリーズは2月上旬に掲載予定)
写真=半世紀、湯之谷村は全国屈指の自然、水源を誇るがゆえ、発電所やダム開発にほんろうされ続けた。村の未来を子供たちはどう描いていくのか=湯之谷村宇津野
後日談

この後、関係自治体(入広瀬村、小出町、湯之谷村)はダム推進、中止受け入れ拒否の強硬な姿勢で、県や電発などにプレッシャーを賭けたが、事後処理を優先した入広瀬村がいち早く中止を受け入れた。

小出町と後のない湯之谷村は、商工会主体の中止反対署名(著名拒否者に嫌がらせ電話などが相次いだ)や地域集会を経て、入広瀬村に遅れること数ヶ月、ついに中止を受け入れた。

湯之谷村は補償として、およそ130億円をでんぱつに請求。半年にわたる交渉の結果、でんぱつが村内でおよそ36億円の事業を行うことで、2002年12月に合意した。

そして、2004年11月1日に湯之谷村は合併により消え、魚沼市が誕生した。昭和の大合併の際には、合併前の議会議事録や財務台帳等の公文書が公然と破棄され、地方史の空白を生み出し、当時の情勢を過去を振り返る事も出来なくなった。歴史は繰り返すと言うが、今回の合併が地方史の空白を生まないことを望む。決して、空白を生むための合併では無いことを信じたい。

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